鎌倉時代から続く
武家の名門・島津家の博物館
尚古集成館で日本近代化の
黎明の背景と実像を体感
幕末、薩摩藩主島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践しました。それら事業の中心となったのが、磯に建てられた工場群「集成館」です。その地に慶応元(1865)年に竣工した機械工場は、重要文化財となっており、現在内部は島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」として親しまれています。
営業時間
営業時間/9:00~17:00
入場料金
入館料/大人1000円
小・中学生500円
(名勝仙巌園と共通)
ご利用案内
鹿児島市吉野町9698-1
駐車場完備 500台
おしらせ
おしらせ
2024年 当館所蔵「犬追物図」修復完了
当館所蔵の重要文化財「犬追物関係資料(島津家伝来)」典籍・文書類610点のうち、犬追物故実書(2点)の修復事業を実施し、本年3月に完了致しました。
企画展案内
歳時記
学芸員ブログ
歳時記
Satsuma味とは –温州みかんとクリスマスと-
令和5年の梅雨。島津家の別邸・仙巌園では、梅雨の間にご来園くださった方々に対して「島津飴」をお配りしました。これは、島津家初代忠久公が「雨の
島津家が育んだ文化
大名である島津家は、地位にふさわしい官職・位、教養を身につけることが必要だと考え、都の貴族や文化人との関係強化、文化向上に尽力しました。重臣たちもこれに倣い、競って教養を身につけようとしたため、各地で文化が花開くことになりました。
島津家と海のつながり
東は太平洋、西は東シナ海、そして南は南西諸島と3方を海に囲まれた地域が南九州である。この地は日本の政治の舞台となった京都・江戸などよりも、大陸までの航路の便がはるかによく、大陸から台湾・沖縄・奄美を経て南九州へと通じる「海の道」が東アジア諸国と南九州とを常に結び続けていた。
世界文化遺産
「集成館事業」
薩摩藩では1840年代に、西欧の科学技術を導入して海防体制の強化が図られていた。嘉永4(1851)年に藩主となった島津斉彬は、海防強化をさらにすすめるため、磯に反射炉やガラス工場などを次々に建て、一連の工場群を「集成館」と名付けた。斉彬はこの地を中心に、造船・造砲・ガラス製造・紡績・写真・電信など多岐にわたる事業を展開した。
島津家の歴史を感じる